日向大神殿に初めて訪れたのは12年前の2007年。
振り返って数えてみると4年ごとに訪れていて今回で4度目だ。
赤塚義孝師匠に弟子入りし日本手技円環療法を学び始めた駆け出しの頃、事あるごとに「師匠はなあ。」と師匠の師匠にあたる故清山良一先生の話をしてくださっていた。
病院から匙を投げられた患者さんでも清山先生の手で何人もの人が救われた話は山ほどあって、それをするには清山先生が日常の中で何をやっていたかなどたくさんの話をしてくださった。
一年を通して毎週のように海に入って身を清めていたということ、山に入り神行歩法という歩き方で三日三晩山の中を走り回るとか、正座して座行に入り精神力(神通力)を高める行法を行なって額から脱魂していろんなところを見に行っていたとか、52℃の湯の中に入るとか、鳥居ほどの高さを軽く跳躍していたとか武術の名人・達人たちの逸話にも出てきそうなものばかりで現代人からすれば一体それは何をしているんだという訳のわからないような話でいっぱいだった。
ある時、昭和天皇と皇后さんの施術をしに皇居まで呼ばれてという話を師匠が話してくれたことがあった。
そこからまた興味がわいて根掘り葉掘りと赤塚師匠から清山先生の話を聞きまくった。
そもそもたとえ素晴らしい治療をしていたとはいえ「宮崎県在住の一般人であるはずの清山先生が、なぜ皇居まで呼ばれて天皇陛下の施術をしに行くことができたのか」というところから話ははじまった。
清山先生が15歳のとき国常立大御神に召されて神隠しにあい、神使として修行をし戦時中当時は神行法を修練した36名の選ばれた神使をまとめる神使長として昭和天皇のお側で護衛の任にあたられていたということ、諜報活動も担い東南アジア諸国や中国、ソ連などさまざまな場所へ赴かれていたこと、その諜報活動中に捕まってしまったところ幸姫尊が救助に現れて難なく一命をとりとめたということ、ハワイの真珠湾攻撃を決める御前会議での裏話や東條英機さんとの因縁などなど話は興味を尽きることがなかった。
そんな話を聞いてから清山先生が書き遺した本があることを知り、その本から清山先生が寄付を募って建立した日向大神殿のことを知ることとなった。
本来の日向大神殿 大神霊殿は米良山中のある場所に樫の磐宮と呼ばれる洞窟の入り口があって、そこから洞窟に入り山底の10キロ先、大洞窟のほぼ中央にあるという。
そこでは代々の国常立大御神が亡くなった人の御霊を送りだす御神行をされていて、神行法を修練した神使たちがその補佐を務めているそうだ。
また話は逸れるがここには御書庫とよばれる部屋があり、そこには三万五千年~一万年以上前から代々の神使たちが獣皮に書き記してきた日本の歴史書(まだ西日本だけだった時の日本列島の地形、各地域の王族や種族、人口、様々な研究書など)があり、清山先生はその中から1100年代に龍王神使が書いた円環療医抄という書物と獣皮に描かれた人体解剖図を基にして日本手技円環療法を創意された。
その日向大神殿の遥拝所として、清山先生が寄付を募りこの場所をつくられた。
また日向神行法の修行場としても使っていて、師匠も若い頃は何度も足を運んだことがあるそうだ。
樫の磐宮への山道は9年前に崖崩れがあってから行けなくなった。
今回も手掛かりとなっている清山先生の本に書いてあった樫の磐宮への道を探索しようと試みたが、山のスキルも無ければ20年以上も誰も歩いていない山道を探索するのはやはり無謀なことであった。
せめてこちらの日向大神殿だけでも整えておきたいと思い、今回の訪問だ。
何とか今回は本殿の敷地に生い茂っていた竹を切り、倒木を片づけることはできた。
夢うつつのときに何度かお会いしたことあるけど、清山先生は喜んでくれたかな。
伝え聞いている清山先生の体術を修得するには困難を極めるが、座行の方はまだまだ練り上げることができる。
清山先生が遺そうとされた日向神行法、一端であってもそれを紐解きながら残していきたい。
また次回も協力者を募って訪れたいと思う。
また来ます。
社務所として使われていた建物。参拝者が記帳するノートが置いてあったんだが無くなっていた。
誰が来てノートを持っていったんだろうか。
社務所から本殿までの参道。低く石垣が積まれている。
手前はかつての拝殿であった入り口の柱。その奥に本殿。
継手がしっかりしているので倒れずに立っていた。
崩れ去った拝殿。倒れた柱や屋根瓦が散乱している。
小ぶりながらも見事な本殿。拝殿は崩れても本殿はビクともしていない。
誰も手入れをしていないので落ち葉でいっぱいだ。
本殿の敷地には枯れた竹が散乱している。
コンクリートの上に降り積もった落ち葉は土となりそこに根が張り付いていて、これを剥がしていくのは往生した。
ここ一年くらいで倒れたであろう雨戸。
もう何年も前に崩れたところは苔むしている。
お土産にどんぐりをいただきました。
一通り掃除を終えてみると素晴らしいほどのよい波長を放つ空間が蘇りました。
本殿 扉の上
各所に施された彫刻は見事です。
第387代国常立大御神 幸姫尊
本殿の敷地の四隅には大きな岩を置いて結界を張っているようだ。
第一代国常立大御神と丹生姫尊
崩れた拝殿にも太く立派なもの木が使われていて、重くて一人では処理できなかった。
また次回に。
また来ます。