松のを治療院

日々の気づきやお知らせを記していきたいと思います。

指圧師です。京都府亀岡市篠町にて施術しています。 ◎問い合わせ、相談はメールにて。 enkan567@gmail.com 

原風景

患者さんと雑談していると「いまの仕事をしてなかったら何をしていたと思います?」と聞かれました。 

きっとラーメン屋になっていました。
旨いラーメンは作れるんだけど、世間知らずで商売下手なイメージが。
商売下手すぎて店を潰してたかもしれません。

指圧(円環手技療法)の道に入ったきっかけは父方の叔母からの紹介でした。
もう20年近く前になりますが叔母は癌を患いました。
お陰様で叔母は今も元気でいますが、祖母も膵臓癌を患って2年半も闘病生活をして亡くなりましたから遺伝的にも不安な要素があったのでしょう。
その再発予防のために1ヶ月に1度、師匠の治療を受けていました。

師匠も当時は大阪から香川県高松市まで毎月出張されていて、60歳になる年に「今の年齢だったらまだ人に教えることができるから、この四国で習いたい人がいたら集めてくれるか」と患者さんたちに声をかけていて、叔母は私がリストラになったばかりで無職だったこともあり電話をかけてくれたのです。そして1ヶ月後に師匠の話を聞きに行くことを約束しました。
数日後、週に一度は通っていたラーメン屋へ行くと、ここ数週間の私の様子を察してか「ラーメン屋やってみるか?」と声をかけてくれました。
無口な店のご主人(オッちゃん)とそんなに雑談することもないのによっぽど将来への不安感が顔に出てたんでしょうね。オッちゃんから声をかけてもらってすぐやりたいと返事をしたかったものの、ちょうど数日前に師匠と会う約束をしていたのでその話をつけてから決めさせてほしいと返事を待ってもらいました。

その1ヶ月後、師匠が出張している香川県高松市へ話を聞きに行きました。集まったのは20人ほどでしょうか、学校の先生やエステティシャンに学生、年齢も性別もいろんな人が集まっていました。

円環手技療法の歴史、指先で螺旋を描いていくことで生物電気を放射させる技術的なこと、癌患者の人やら脳性麻痺の人など難症を患った人へのアプローチの仕方など専門的な難しい話も笑いを交えて集まった人たちを和ませながら説明していく師匠。

これができたら膵臓癌で闘病生活をしていた祖母のような人にもできることがあるかもしれない。
この人は凄いな〜と思いながらも実際の技術はどうなんだろうと勘ぐっていました。

円環療法の理論通りに指先で螺旋を描く、身体をつかって同心円状に○の形を描いていくのは余程の技術力がないとできないことです。
一回や二回だけではありません。
圧力を加える、圧力を抜く、その都度に指先を回します。話を一通り終えた後、二人一組になって実技体験をすることになりました。

 円環療法の基本は指先をクルクルと5回巻き込んで、クルクルと5回巻き戻す。
予想通りクルクル回すこともできず指先の軌道はグニャグニャでせいぜい楕円形を描いてしまうくらいです。実際に自分の太ももの上でやってみて下さい。
渦巻きを描くように指先をクルクル回していくんです。
ゆっくりやっても上手くできません。
上手くできるようになると無理に圧力を入れなくても回転するほどに指先が自然と沈んでいくのがわかります。
もっと上手くいくと指先からモワッと熱いものが出て身体の中に入っていくのがわかります。

20人ほど集まっていた人たちの中で私がこの道に入ることはお見通しだったのでしょう、師匠はみんなの前で私の背中をつかってたった一度だけ見本を見せてくれました。
今でもはっきり覚えています。
「よう覚えときや〜。」と言った後、説明通り師匠の指先は同心円状に螺旋を描き、同じ軌道で巻き戻りました。

 俺はこれや。

この一度の体験で指圧の道に入ることを決めました。

京都の自宅に帰ってラーメン屋のオッちゃんにもその旨を伝えるとよかったなあと喜んでくれたのが嬉しかったです。

それから今に至りますが、私がこの道に入るきっかけとなった原風景はここにあります。