松のを治療院

日々の気づきやお知らせを記していきたいと思います。

指圧師です。京都府亀岡市篠町にて施術しています。 亀岡市、京都市内への往診もしています。 ◎問い合わせ、相談はまずご連絡下さい◎   090-3625-1346  enkan567@gmail.com 

生きる

Ayur - I Miss You
https://m.youtube.com/watch?v=15nKGfGqHpg

この曲を聴いていると亡くなった友人をやけに思い出すのでカレンダーを見たら明日は月命日でした。
もう二年八ヶ月になります。

彼女とは専門学校の時のクラスメートでお母さんやお姉さんを指圧させてもらったこともあって家族ぐるみの付き合いをしていました。
結婚式に呼ばれたときには花嫁姿がとても綺麗で、ご両親を大切にして甥っ子や姪っ子も我が子のように可愛がっていましたから、彼女が子を授かればいいお母さんになるんだろうなと私は楽しみにしていました。

ご主人の仕事で東京に移り住み一生懸命仕事もやっていたようですがストレスが重なったのでしょうか、癌を患ったことがわかりすぐに摘出手術をし抗がん剤を投与しながらの闘病生活に。
その後、東日本大震災があり京都の実家に帰って療養をしていました。

こちらに帰ってきてから最初の頃は家の中を移動するのもフラフラな状態で、とくに彼女が気にしていたのはやはり自分の子どもを授かれるのかどうかでした。
早く治して五年経って( 癌には五年生存率というのがあって、五年経っても再発していなければ治癒したという指標です )具合が悪くなければ赤ちゃんが欲しいと。
それから四ヶ月間、週一〜三回のペースで往診して、外に出ていくのも辛くないくらいにまで回復。
ある程度回復して日常生活に支障がなくなってきた頃にご主人の転勤があり引っ越し。

ときどきメールや電話をして気にはかけていましたが、いつも元気にしていたので安心していました。

そして再び東京へ転勤することになり数年。
四年前の十一月のある日、彼女から電話がありました。
半年前に大腸に癌が再発し手術して退院してきたところだと。
やっと癌が治って五年が経とうとしていたのにまた癌になってしまった、子どもが欲しかったのにと泣いていたのを私はただ聞いてあげることしかできませんでした。
東京まで来てほしいという電話でしたが、仕事の都合もあってなかなか東京まで行けない状況が続いていました。

そういえば今思い出したことですが、三年前の旧正月の日に「元気か〜?!」とメールして、「お陰さまで元気にしてますよ〜!」と顔写真付きの写メールが返信されていました。
私にとってはそれが最後のメールです。

一度は会いに東京まで行かなければと思いつつ日は過ぎ、三年前の五月になってやけに胸騒ぎがするのでメールを入れました。
いつもなら遅くても次の日には返信が来るのに返事は来ません。
気になるので何日かごとに電話を鳴らしましたが出ないままです。

彼女が亡くなって遺品整理をしていたときに書き遺していた彼女のノートにわたしの名前があったそうで、それを見たお姉さんが連絡を取ってくれました。
そこでわかったことは、急に体調が悪化して五月に入院しその一ヶ月後に息を引き取っていたことです。
その後、納骨式で彼女のお骨だという骨をみてもう言葉も出ませんでした。

何であの子がこんな思いをして生きなければならなかったんだとかあのとき東京に行っていればとか何かもっとできることがあったんではないかとか、吐き出すこともできない感情がぐるぐると渦巻いて鬱状態のまま日を過ごしていました。

今となっては日課になっている滝に入るようになったのは彼女の死がキッカケでした。
八月の晩夏になる頃、導かれるように滝の前に立っていてフラフラと滝の中に入っていったのです。
滝から出てきたあと、ただただ生かされていることを身をもって知りました。
人の生はそれぞれがそのように生きているのであって、善でも悪でもないということです。

人は死ぬまで生きます。
死ぬときまで生きなければならないのです。

人の死は病気や事故の死でさえも残されたものに生というものを伝えてくれます。
どう生きるのか、何度も何度も思い返すことです。

明日は旧正月の日食です。
粛々とすすむ宇宙の運行、あらたにまた生まれかわり。

今のわたしを全うします。